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2012年 05月 24日
5月16日午後、農業技術培訓学校の歓迎宴を終えた後、龍首山を参観した。此処は昔から市民の散策コースになっている場所であるという。 3年前には、早朝にホテルから入り口の門までタクシーでやってきて、龍尾山を散歩し、翌日にはやはり、早朝6時にホテルを出て龍首山を散歩した場所である。 慈清寺の裏の見晴らしのいい場所に立って、眼下に旧市内を見下ろし、「??」訝った。 アパート群は無かったはず?! ![]() 帰宅してアルバムを開いた。 やはり、アパート群は写っていない。 3年間の間に、”どでかい事”を成し遂げたのだ。 これは市の事業か? 新市街や物流センターは省の事業と伺った。 2010年の上海万博には、唯一紹介された都市は”鉄嶺市”だったという。 この達成力には、ただただ驚くばかりだ。 ホテル”天興国際酒店”の直ぐ横から、200mも繋がって歩道上に朝市が開かれていた。6時ごろから食材、魚、肉、野菜、食べ物の類が歩道上に並べられる。 8時頃から衣服類が並ぶ。衣服が並ぶ前に食品類は手早く片付けられている。 路上の店舗だから、雨の日は中止だろう。 朝市は、日本でもどこかで開かれていると聞いたことがある。 多分、このような大きな規模ではない、と思う。 瀋陽のホテル”新世界酒店”の11階の部屋から見下ろした光景である。似たような光景を、上海のホテルの窓から見下ろしたことがある。 そう思って写真に撮った。 2010年5月28日、上海の光景はこれよりもひどかった。 新旧入れ替わるときに、見納めできる現象だ。 個人の権利が重要視される日本では、絶対にあり得ない。 瀋陽と大連では、単独行動を申し出てあったが、ホテルはどちらも団体と同じホテルを、1ヶ月前に、個人で予約していた。 ホテルの広間で、結婚式が行われる。このアーチ型ゴム袋(?)は、結婚式や開店お祝いの定型か? 他の場所でも見かけたことがある。 我が一行の女性曰く「新婚さんは午前中に行い、再婚さんは午後の祝宴だそうです」。 ホテルの玄関を外へ出ると大通りだ。右にも左にも大きな商店が並び立ち、自動車の往来や歩行者が多い。 なんとなく、当てもなく、左の方向へ進んだ。 10分も経ったころ、”瀋陽站”という大きな文字を屋根に掲げた建物が見えてきた。 瀋陽駅だ。昔の奉天駅だ。 3年前も昨年5月も、どうしても此処へ来てみたかった。偶然にもやっと着いたのだ。 「奉天」! 小生にとって「上海」と「奉天」は、何故か強烈な郷愁を感じる地名なのである。 まったく縁も所縁もない。でも拘りがある。近代史の読み過ぎか? 駅前は土木工事のせいで、駅舎は塀で囲まれていた。駅舎内には大勢の人が並んで、切符を買っていた。 この建物が竣工したのは1910年10月1日。 東京駅の設計者辰野金吾氏の弟子・太田毅氏が設計したのである。 建築様式は辰野式と呼ばれ、赤レンガ造りで外観や雰囲気が東京駅に似ている。 1950年に瀋陽駅と改名したそうだ。 大通りの反対側を歩いてホテルへ向かった。吉野家とユニクロの店があった。 吉野家で魚の弁当を買った。 バナナとトマトが食べたくなったので店を探したが見つからない。 路地の露店で果物と共に買い、CD店で食パンの店を尋ねたら、近くのWall Martを紹介された。 大通り反対側の瀋陽駅寄りにあった。広い店内は客がいっぱいだった。 説明は前後するが、反対側に渡ろうと思って地下道へ降りた。 なんと、そこは地下2階建ての広いマーケットだった。大通り下は地上に対抗する商店街だ。 ホテル周辺は、昨年5月の中街を凌ぐ巨大な商店街なのだ。中華路、太原街、南京北街・南街、短時日では探索不可能。 ホテルの玄関を出て、瀋陽駅と反対方に歩いていたら、中山公園の北入口へたどり着いた。ホテルの近くにこの公園があることは知っていたが、行ってみようと思ったことはない。 全くの偶然で辿り着いたのである。 小高く盛り上げた小山が二ヵ所。てっぺんに東屋。 園内には池もある。休憩所もある。広い。 近所に住むのなら、運動のためには絶好の散歩所である。 中山と呼称するのだから「天下為公」のスローガンを掲げて、孫文の銅像も立つ。 何故か女性像が数か所に散在していた。 ![]() ![]() ![]() ![]() 公園内の何処からか女性の歌声と胡弓(二胡?)の音が流れていた。しばらく歩いていたら、中年の男女数人が、演奏と歌声をマイクに通していた。 胡弓の実物を見たのは初めての経験だ。 ヴァイオリンと似ているがまるで違う。 この音はなんとなく悲しさを奏でている。 楽譜は洋楽とまるで違う。 「写真を撮ってもいいか」と指で合図をしたら、顔で「OK」と示して、撮りやすい態勢をしてくれた。 ![]() ![]() メンバー11人の内6名は瀋陽から帰国の途についた。 5名は大連へ移動して2泊し、帰ることになっていたので、瀋陽北駅から発った。 但し、小生は既に単独行動だ。 事前の打ち合わせで、バスで移動することにしていたので、一緒ではない。 理由はバスの方が座席がいい、と高嬢が勧めてくれて、2日前に乗車券を買ってくれていた。 大連へ到着してから気づいたのだが、大連~瀋陽間は朝5時半頃が始発で20分ごとに発車しているのだ。電車は午前一回、午後一回だけの運行だ、と旅行会社の社長が云っていたから、バスの方が気軽に利用できるようだ。 瀋陽~大連高速道路は全長約349km、小生の座席番号2は運転手席の直ぐ後ろだった。速度計を見ていたが、走行中はほぼ95km/hのスピードを維持していた。 発車してから高速道路へ入るまでに、1時間を費やし更に大連市内では渋滞で超ゆっくり走行となった。 結局5時間かかって到着だった。08:10発車、13:15到着。 トイレは車内に設置されていたが、3時間が過ぎたころに、トイレ休憩所で15分ぐらい停車した。片側4車線への拡幅工事は、2004年10月に完了したという。 センターラインの緑地帯には、散水車が水を撒いていた。 高速道路の沿線地域には、殆ど山が見えず、平原地域であった。大連が近づいてきて、山並みが見えてきたのだ。 乗務員という名札を下げたこの若い女性は、左手薬指に指輪を嵌めていた。発車間もなくから、運転手と笑顔でしきりに話を交わしていた。 何度か立って、何かの案内らしく、車内に言葉を流していた。 小生、皆目わからない。終わるとマイクを持つ右腕を90度内側に曲げて腹の上に置き、静かにゆっくり頭を下げ、そしてゆっくり上げて自分の席へ戻った。 これが正式のお辞儀か? 帰国してから、高嬢に尋ねた。返事は「知らない。私は腕を下げたままお辞儀する。そんなこと知らない」 ![]() 大連市内は渋滞していた。 ここでも単独行動だから、滞在中は遠くへ出かけるつもりはなく、駅周辺をウロウロしていた。 ホテルはバスの停留所の直ぐ傍で徒歩5分。非常に好都合な立地。 ![]() ”大連渤海明珠酒店”。 添付写真の左端のビル。 ロビーに日本人爺婆の集団が入ってきた。 スーツケースにクラブツーリズムのステッカーが貼ってある。 この会社のツアーは、10年間に内外合わせて、30回を超えて参加した。 添乗員の顔は小生の知らない女性だ。 「地下道入り口」という階段があったので降りてみた。此処は地下商店街だった。 韓国人の店店々々。 陳列されている商品も韓国製? ハングルが書かれたものばかりのようだった。 広い場所を占めていた。 ![]() 夕方、大勢の人が行き来するガード下みたいな通路があったので、向こう側へ行ってみた。 そこはバス乗車場。 乗車券と乗船券販売所が、幾つもあった。 バスの中に「大連~牡丹江~鶏西」という表示を見つけた。 鶏西(チーシー)は段嬢、周嬢、が小生とskypeで出会った日本語学校のある黒竜江省の都市だ。ロシアの国境に近い。遠い所だ。 段嬢は広東省シンセンの会社寮にいる。 夜、iPadを使って電話してみた。 電波の感度悪く、うまく会話ができない。 諦めて交信を止めた。 22:36 Hi, Are you on line? いきなり書き込みが入った。返事を送ったら 22:40 ok, my sister is here now did you call her? we can call you by skype 段嬢の姉からの入信だった。 こちらのkeyboardは外付けでないから、書き難くて困った。 22:45 Where are you now? we thought you are not in Japan, right 延々続いたが......23:18 it is very late in your time , we can talk tommorrow iPad を利用して文字の交信は初めての経験だ。 日本料理を探したが見つからなかった。メニューの一覧を表示した店に「冷麺」という名前を見つけたので、中へ入った。 これは朝鮮料理ということを知らなかったのである。 出されたものは最初にキムチ。これは小生の食わず嫌いの代表だ。 麺なる物は糸こんにゃくにしか見えないし、味も糸こんにゃくだ。 店は広く結構、客が入っていたから、人気の店か? 早々に退散して、マクドナルドへ入って口直しをした。 大連には朝鮮人が多く住んでいるのだろうか?そんな思いがした。 ![]() 大連の我が宿泊ホテルでも結婚式が行われていた。アーチの数は、複数組の挙式のようである。 待つ時間は長く感じる。やっと飛び立った。そんな感じで窓の外を眺めた。 別段の目標もなく、上昇を続ける間、シャッターを数回押した。 港が見える。この瞬間のシャッターは記憶していた。 帰宅してパソコンに取り入れて見たら、空母が写っていた。 数年前の週刊誌で読んだ空母! ロシアから購入した中古空母だ! 「ワリヤーグ」改修して試験と訓練ように使う空母。 中国国防相はこのように表明している。 実戦用の空母は、秘密裏に中国国内のどこかで建造してるのだ。 何故、空母が欲しいのか? どこで戦争するつもりなのか? 戦争以外に利用価値のない空母を、莫大な費用をかけて建造する真意は・・・? 2012年 05月 22日
![]() 新市街東側大通り 2005年4月「大瀋陽経済圏」構想が発表されて始まった建設事業は、鉄嶺市にも大きな変化が起きたことは一目瞭然だった。 瀋陽市から鉄嶺の新市街に入ると、両側の整備された街路樹と幅広い新装の舗道、橋梁、悉く真新しい物ばかりである。 3年前の7月に訪れ、移転入居して執務開始後一週間という市政府新庁舎を見学したが、今回、またやってきた。 ![]() ![]() 市政府庁舎正面 ![]() ![]() ![]() 外事弁公室副主任・劉氏の執務室からの眺望 庁舎前のダイヤモンド広場 ![]() ![]() 3年前は幾基ものクレーンが屹立していた。 今や建設工事は完全に完成しているらしい。 中国の分譲アパートは内装は買主の負担。 歩く人影も車も見えない。窓を見上げても、どの窓にも生活臭が感じられない。 ![]() 工事車両の影も形も見えない。内装工事も終わったに違いない。 巨大な空家団地のようだった。 公務員は、この地に転居して執務しているという。 当面、35,000人の住居である。 住民はいずれ30万人がやってくるのだ。 瀋陽と地下鉄で繋がるという駅舎は完成していた。線路は見れなかった。旧市街との交通手段はバス路線。 そのバスの姿も、滞在わずかな時間には見れなかった。 ![]() ![]() 郊外には物流センターと称する巨大な施設が完成していた。どこまで走れば敷地は尽きるのか? 旧満州地区としては、1 or 2位を誇る規模だそうだ。 それに、人造の川が郊外を流れて、潤いをまいてる。 その川には五ヵ所の橋が架かり、生活環境に安らぎをもたらしている。 もともと一帯は農村だったという。 立ち退き、土地収用、民主主義日本では想像さえできない国家権力が働いているのだ。 ![]() ![]() ![]() 5月22日は小生の誕生日。東京スカイツリーは今日、営業を開始した。 330倍の競争率の入場券抽選。 この日の分の当選者は8000人。 生憎、天気は雨空。視界不良。 雨が降り風強く吹き、一時エレベータが運行停止の状態になった。風のために停止の措置は天候次第だから、安全を配慮して今後も起こるという。 秋のいい日が続く頃、昼と夜と上ってみよう。 ![]() ![]() 2012年 05月 21日
鉄嶺市新市街の市政府庁舎
![]() 2009年7月2日~5日の「瀋陽・鉄嶺の旅」に次いで今回「鉄嶺龍山会訪中団」の旅は2012年5月15日~20日で行った。 鹿沼市の関係者が、都合付かず参加キャンセルとなったので11名で出発したが、先方は予定通り非常に好意的な応対をしてくださったので、大変心温まった気分で無事帰って来た。 先回は20名という陣容で訪れた。それにも関わらず、望外の接待という印象を受けたのだが、今回は更に上回った応接であった。 ![]() ![]() 市庁舎玄関の表札 ![]() 鉄嶺市副市長との懇談 15日(火)、瀋陽空港で出迎えてくれたのは、遼寧省外事弁公室接待部長兼旅行社々長の南氏と鉄嶺市外事弁公室副主任劉氏。劉氏は2年前に業務出張で来日した。この時には長崎国際大留学中の御嬢さんも東京へ呼び、米山さんの呼びかけにより、池袋で歓迎会を開いたのである。 マイクロバスは南氏手配の瀋陽の車。空港から1時間半ほどで鉄嶺市内に入った。 鉄嶺市の人口302万人、面積約13,000平方キロ。 今回の訪問は、市の農業青年2名が毎年選抜されて、1982年八ヶ岳中央農業実践大学校へ入学した第一回生以来、30年が経過したのでその記念訪問であった。 派遣された青年の滞在費は大学校が負担していたのであり、24年間にわたって37名がこの大学で学んだという歴史的関係がある。 わが団長は元校長の秋山氏、副団長は元教員・現顧問の両角氏。 団員は戦前の鉄嶺生まれや親がこの地に住んでいたなどの鉄嶺龍山会のメンバーであった。 昭和13年創立のこの大学校は、各県に存在する農業後継者育成のための修練農場である。 地元青年のための施設に、戦後の中国人受け入れ事に尽力したのは、米山さんである。青年たちの入国、滞在、出国と、折に触れ長年にわたって大変な尽力をされたという。 ![]() 懇談は女性副市長と秋山団長が、それぞれ意見を述べられた。 副市長の発言は、若い女性通訳の声が低かったので、末席の小生まで声が届かず状態。17時から30分ほどで終了、歓迎宴会席へ移動した。 ![]() 歓迎宴会は庁舎内の金融会館。 副市長は短い挨拶と乾杯の後、貿易交渉の用事があるということで退席。 市外事弁公室主任が挨拶、乾杯。当方も数名の挨拶と乾杯が繰り返されて1時間半ほどで終了。 明けて16日8時半、ホテルを出発して農業技術培訓学校へ向かった。バスは直行で走って20分ほどの場所に到着した。此処は日本留学開始当時に建てられたものであるそうだ。 元校長や米山さんなど、日本側関係者が創立披露には招かれて来たという。 4階建ての建物はかなり古びていた。 第1次留学生や2,4,5,6,9次卒業生10名が集合していた。 米山さんは全員と顔なじみであった。 皆、市の重要な役職に着いていた。 12時までそれぞれが思い出を語った。 日本語の上手な人もいた。全員、地元の日本人教習生と共に、全寮制度の団体生活で1年から1年半の勉強は、「その後の人生にいい修養になった」と、口を揃えて懐かしんでいた。 ![]() ![]() ![]() 農業技術培訓学校歓迎宴 12時、学校食堂で歓迎宴が開かれた。 此処でも数人の挨拶と乾杯が繰り返された。 昼食のつもりだったが、出てくるのは所謂中国料理と白酒とビール。 承知の上で参加したが、誰が見ても小生にとっては避けるべき食べ物だった。 宴が始まって間もなく、3年前に訪問した清河区の北方緑色食品集団の董事長・中国人民代表大会委員も参加した。 我々はこの後、龍首山へ入った。 此処は徒歩コースであるが、劉さんの取り計らいで、バスに乗ったまま進入した。 17時半、天興国際酒店(ホテル)で鉄嶺市林業局の歓迎宴。林業局副局長が第4次卒業生。6次卒業生と7次卒業生は課長の肩書である。 ここでも数名の挨拶と乾杯。 出てくるものは典型的な中国料理。 わが胃袋は驚いているに違いない。 次の瀋陽と大連では、団体を離れて行動することにしていたので、明日一日の小生の行動について南社長と話し合い数回。 昼食の宴会には「知人を参加させてもいい」と言われたが、昼夜2回の宴会は断った。 結局、夜は必ず参加するということにした。 この日夜遅く、瀋陽の高嬢に連絡をとった。 17日(木)8時半、外事弁公室の劉英氏や崔通訳、卒業生などの見送りを受けてホテルを離れ、瀋陽へ向かった。9.18記念博物館に着いたのは10時15分。 南社長、米山さんに高嬢を紹介するつもりでいたが、到着したのは10時45分、博物館から出てくるのを待たずに、かねて予定した中街のヤマダ電機へタクシーを走らせた。 ヤマダを出た後に昼食を済ませ、道路が渋滞しているので、時間は早かったが宴会場へ向かった。 夜の宴会場は、小生が一人で行ける場所ではないから、高嬢に送ってもらうようにと、南氏の指示があったので、直接、北陵公園前の会場へタクシーを走らせたのである。 指示時間は17時。着いたのは15時。 着いた、そして、小生一人でロビーで待つ。その旨を彼女のケイタイで南氏へ連絡して、小生の単独行動は終わった。高嬢は帰った。 中国人民政治協商会議遼寧省委員会の歓迎会。於:政協会館。楊新華 元鉄嶺市長、遼寧省人民代表大会常務委員会副主席 趙子良 元鉄嶺市外事弁公室主任、遼寧省人民代表大会常務委員 王永貴 中国人民政治協商会議遼寧省委員会外事委員会主任 ご三人が我々を歓迎してくれた。 我々の代表や米山さん等が交わす言葉を聞いていると、数十年前から鉄嶺市民の農業研修に関して交渉があった、知己の間柄ということである。 覚悟していたが、お定まりの中華料理が丸テーブルの上を、ゆっくり回転していた。 この夜は、初めて3,4人の人が歌を披露した。 他の人たちが、昼食の宴会は何を食べたのか? これは遼寧省外事弁公室の歓迎宴である。 連日の中華では大変だろうと「牛のしゃぶしゃぶ」だったという。 小生はこれは欠席だった。 大連の歓迎宴は? これは聞き漏らした。これにも小生は参加せず 米山さんは段ボール二つに土産を入れて持参。互いに土産の交換のようだった。先方からは我々にも贈られた。 茶器とマニキュア・セット。 ![]() 5月21日 家内の誕生日である。 この日は日本各地で金環日食が起きた。 同じ状況になるのは300年後の2312年4月8日ということだから、記念すべき日となった。 北海道では18年後に金環となる、ということでもある。 部分日食なら、数年に一回、国内のどこかで見れるそうだ。 東京で観測した前回の金環日食は、1839年。江戸時代。 日本中で今回と同じぐらい広い範囲で見えたのは1080年12月14日。 古い記録として残っているのは、平安時代末期の1183年11月17日の金環日食。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2012年 05月 12日
![]() 15日(火)再び「鉄嶺・瀋陽の旅」へ出かけることになった。前回は3年前の7月、企画・引率者は前回同様米山さんである。 瀋陽には昨年5月に別途、単身で赴いたので、今回で3度目となる。 前回訪れた際は、鉄嶺では荒地に市政府の中心機関を移転し、人口3万の住宅街と人造の湖、人造の川、人造の山を造った新市街が、完成間近であった。 3年を経れば、発展著しい中国のことであるから、全て完成しているかもしれない。興味の湧く所である。 鉄嶺は古い街、日露戦争の終結地であって、乃木将軍が暫時滞在した場所である。 市の構成は開原市、調兵山市、銀州区、清河区、鉄嶺県、昌図県、西豊県、の2市、2区、3県からなり人口305万人、面積13,000平方キロということである。市街から南南西11キロの鉄嶺県凡河新城区に、2005年から新市街の建設が始まり、中国第2の物流センターも造られた。 3年前には21階建の市政府庁舎や主要官庁は完成していた。 人造湖、運河を造った廃土の人造の山”鳳冠山”(高さ100m)の頂上には、山東省から運んだ泰山石(102トン)が据え付けてある。山の植林も完成していた。 旅を企画された米山さんは”鉄嶺龍山会(代表・山口和子・・元NHK教育放送中国語講師・創価大学名誉教授)の幹事を務めている。旧制中学1年まで鉄嶺に在住し、終戦により帰還された。現在、鉄嶺市名誉市民に任命されている。今回、日中国交正常化40周年、鉄嶺市・鹿沼市友好都市締結20周年、鉄嶺市派遣第1次農業研修生の八ヶ岳中央農業実践大学校入学30周年(1982年から24年間継続)と節目に当るので、訪問を歓迎するという市当局から信書を受けての出立である。 瀋陽市では遼寧省人民対外友好協会の招待宴も開かれ、市の元党書記2名の参加も予定されている。 従って、3年前同様に一般の観光ツアーとは、異なる旅なのである。 当初、20名の参加希望があったが、米山さん以下12名で発つことになった。 帰途、希望者5名だけが、大連観光へ足を運ぶことにした。 小生の帰国は20日(日)夕、成田着となる。 3年前の旅に参加したのは、我が親友・故斉藤の葬式に米山さんに出会ったことにある。斉藤は生後間もなく、秋田県から満州へ渡り、終戦までの10年余を鉄嶺市に在住した。 小生は福島県出身である。富山県の全寮制高校へ入学して、斉藤と同室になったのが50年余にわたり、秋田県出身の彼と親交を結ぶことになった。 そして彼の逝去が米山さんを知ることになり、鉄嶺へと足を進めることに繋がった。 知人もう一つの契機は、4年前に中国人若者に、skypeを通して日本語勉強を手伝い始めた事にある。 複数の交信者の中に、とりわけ日本語習得に熱心な女子大生がいた。 彼女は瀋陽生まれで瀋陽在住。卒業後は市内の語学学校の事務員兼アシスタント教師を務めている。 現在も、業務終了後には頻繁にアクセスして来る。 物価3年前、地元・茅ヶ崎ののスーパーマーケットで、食品数十種類の価格を記録して出かけ、現地の物価の状態をチェックした。 大卒初任給 日本は200,000円。 中国(瀋陽) 2,000元。=約28,800円 物価は収入に比して高い。 庶民の生活は大変? かな? という感想をもった。 為替レートは変わった。 今回も覗いて来ようと思っている。 ![]() 2012年 05月 06日
![]() 交通事故の悲惨な現場写真は、テレビや新聞で見た数は多い。 大抵の人は見慣れているはず。 だが、4月29日未明に発生した高速ツアーバス事故は、余りにも悲惨だ。 金沢市を夜半に出発して、千葉県浦安市まで約545キロを目指し、運転手は一人で運転していた。 ”居眠り”していたのだ。 ![]() 群馬県藤岡市の関越自動車道で、高速のまま路肩の防音壁に激突したのだ。車体は縦に切り裂かれてしまった。バブル経済破たん後の景気浮揚を企み、政府が規制緩和政策を施し、過当競争に入った業界が元凶とみられているが、想定外の原因が次々と明らかになっている。 突き詰めると企業の法令無視、社会規範や企業倫理を守らないことにたどり着く。 信頼して乗車し、瞬時に死亡した7人と怪我をした多数の人たちが、運が悪かったということでは片付けられない。 バス会社は全く滅茶苦茶な運営をしていた。 ![]() ![]() ![]() 法規制、運行基準、定めを決める人たちは、夜間高速バスを運転したことのない者だろう。 諮問に答える者も運転の経験はなく、会社の採算を慮っての答申を出すのだろう。 テレビのインタビューに答えた他の運転手は「一人で運転するなど、考えられないことだ」。 ![]() 北海道の泊発電所である。 定期検査のための停止だ。 福井県の大飯原発が稼働準備に入っていたが、地元の知事・首長の同意が得られず再稼働の態勢を取りながらも、まったく身動きが取れない状態。 このままでは、夏季の電力需要を満たせない。政府は躍起になって地元に説得をしているが、経産相が記者に言った「瞬間的にすべての原発は止まる」は的外れになった。結果は瞬間的ではない。 ![]() いつ原発が再稼働できるのか、誰も情報には触れていない。反対する人たちは、原発に反対するのであっても、夏季の電力不足による節電・停電にも反対のはずだ。一体どうするつもりだ。 福島の原発事故は続いている。 ![]() 地震と津波に対する防御がまずかったのである。 国内すべての原発が破裂するわけではない。今まで40数年、事故が無かった。 原発事故が必ず起こるわけではない。 反対! 反対! と騒ぐのはいい加減にしてくれよ。 節電、停電は本当に困るのだ。 ![]() ![]() 日本とインドの閣僚が集まって互いの経済協力を話し合う初めての会議が4月30日、ニューデリーで開かれた。 日本から玄葉光一郎外相や枝野幸男経済産業相、自見庄三郎金融相らが参加した。 掲示のこの写真! サッと見ると気づかないことがある。 外相は交渉にイアホーンを使っていないのだ。 しかし、経済相と金融相は、通訳の言葉を聞くためのイアホーンを耳につけている。 さすが外相! 英語に精通している! 長野、岐阜両県の北アルプスで4日から5日にかけ、中高年登山者による遭難事故が相次いだ。長野の白馬岳(2932m)で北九州市の63~78歳の男性6人がいずれも意識不明の状態で見つかり、全員の死亡が確認された。 テレビ報道では、常識外れの軽装の人たちだった。他の場所にも大阪女性62歳、福岡男性71歳が亡くなったので計8人にのぼったという。 死因は低体温症。 残雪を踏み締めながら進む春の登山は夏にない魅力がある。しかし、荒天になれば厳冬期に逆戻りし、経験豊富な登山家でも難しい状態になるそうだ。 自信過剰の高齢者たちは、想定外の事態に陥ってしまったのだ。 ![]() 5月5日(土)12時着で相鉄・海老名駅へ行った。 我が街から直通電車で30分。東京から此処へ転居して35年、初めての訪れである。 JR、相鉄、小田急のターミナル駅。駅前には他の街では見られない賑わいの施設が揃っている。 昭和18年、文珠村大字粠田から石森国民学校へ入学したのは、男8名、女6名。 その中で死亡したのは男4名のみ。我ら男2名、女2名は神奈川県に居住している。 思い立って数年ぶりに会うことにして実行した。 村を横断して鉄道線路が通っているので、その線路に沿って米軍艦載機が、軍都郡山へ爆撃のために向かってよく飛んできた。 我らは防空壕に、よく隠れたものだった。 こういう共通の思い出をもっている者は、会えば頗る盛り上がる。ビール4本、3時間が過ぎた。 ![]() ![]() 2012年 04月 30日
![]() 4月28日(土)13時30分~15時40分 於:鵠沼公民館 ASF総会を開催した。 前年度の全般的な報告は代表世話役が行い、そして会計報告と催行した旅行プロジェクトの報告及び平成24年度の代表世話役の選出及び世話役・連絡会・会計・メール・会場等の各担当者の紹介、新入会者の紹介、海外ステイの計画及び各国内交流会の予定の発表などがあった。 新世話役は男女5名ずつ、名簿順である。小生、副代表兼会計担当を受けた。 前年度は個人の海外旅行はいくつかあったが、月例の連絡会で報告済み。総会報告はプロジェクトに限定しているので、該当は1件のみ。今年2月の台中ショート・ステイである。幹事・水谷ご夫妻は所要で欠席したから、参加メンバー宮崎さんが単身3週間滞在したという前口上の後、ビデオ投影をしながら訪問した観光地の足跡を、40分ほど説明をした。 本年度企画は幹事・成瀬代表世話役のマレーシア・クアラルンプール。1~2月である。 台中の投影の当初部分には、陳さんの姿が6,7分写っていた。「大変、日本語が上手です。水谷さんから紹介されたが、1年間で覚えたそうです。佐藤さんがインターネットのskypeで勉強を手伝ったということです・・・」 「お医者さんの奥さんで親切な方ですから、観光案内書も用意してくれる。これから台中へ行く人は、彼女に頼めばいい」という言葉も飛び出していた。 先に一部このブログに書いたが、藤森、水谷、宮崎、宮崎さんの知人の九州人などを訪ね、7キロ離れた自宅からバイクを飛ばして数回! 陳さんは振英会館へ訪れたのである。 会館は本年度から独立採算制度? を採用するから、値上げとなったそうだ。 ![]() 会議を終えて迎えに来たバスに乗り湘南台へ移動した。例年通りの懇親会である。 坐る席順はくじ引き。宴会場は細長い並び方だったので、声が届くのは隣同士の数人のみ。男性の大半は、月例の連絡会で飲み会に参加しているから顔なじみ声馴染み。 何をしゃべり、何を聞いて笑ったのか、記憶に残ることは無かった。宴会費は男女同額で全額個人負担。安い割には満足の料理である。 1時間半後に、またバスで藤沢駅まで送ってもらい散会、帰宅。 夜、陳さんへアクセス。陳さんを、総会出席者へ紹介した宮崎さんの言葉を伝えた。ビデオテープは水谷さんから送られてきたので、受け取っているということであった。 小学校同級生の墓へお参り ![]() 1月28日(旅12-8 年賀状の返信)に書いた同級生のお墓へ参拝してきた。 我が同級生は男女合わせて34人。戦時中は疎開者がいたので40数人に増えたが、終戦するや次々と東京の方へ帰ったので、石森小学校を卒業したのは34人だ。 成人・初老で亡くなったのは7人。 「旅12-8」に書いた人はその一人だ。 千葉・埼玉に居住の2人に対し、今年の1月に「暖かくなったら墓参り・・・」を約束していたので、天気予報を見て昨日(4月29日)実施した。横浜で東横線に乗り換え、中目黒で地下鉄日比谷線へ乗り埼玉県・蒲生へ。JR・東横・日比谷線、合わせて丁度2時間かかった。 ![]() 急に思い立って栃木県の一人も誘った。 11時半蒲生駅改札口集合。 墓苑の墓は黒御影石・洋風造りの大きなもの、で立派なものだった。建立は息子名で作られていた。 タクシーを待たせていたこともあり、昼食を兼ねてミニ同級会を開くために、長居せず越谷駅へ向かった。適当な場所を探すのに少し時間がかかったが、駅近くにいい場所が見つかった。 しゃべって、しゃべって、4時間経過。 どなたでも同じく感じるだろうが、子供時代の思い出を共有する仲間は、本当に話は弾む。 今回は茨城で長年の闘病中の一人が、息子の運転で駆けつける予定をしていたが、ドクター・ストップがかかったという事で、多額の墓参軍資金を送ってきていた。 発起人の小生は、彼に声をかけていなかったので、この事情は現地へ着いて初めて知った。 本日、茨城の彼へお礼の電話をかけてみた。 C型肝炎と肺気腫を患い、階段の上り降りを避けるため、ベットを一階へ移動させて闘病中という。 「医者に余命25年と言われているから、楽しく生きていきます」と糖尿病の小生を励ました。 とにかく、多額の軍資金のおかげで楽しい墓参の一日であった。 因みに、生存中の我が同級生は、他には東京4人、神奈川4人、栃木2人、所在不明1人、残り11人は福島県内に在住している。 2012年 04月 27日
![]() 転職してオカに上がり新聞の購読を始めた。 以来、一貫して朝日新聞の読者である。読者歴50年を越えた。 朝刊40ページの中で、一つのニュースがこれほどの面積を費やしたのは記憶にない。 記事を読めないほど縮小して並べた紙面、その数9個。1,2,3,14,15,36,38,39,40頁である。 我がブログに載せてしばしの記憶とするつもりだ。 ![]() ![]() ![]() 政治資金収支報告書の訂正届は、政治家の悪事露見のニュースとしては、ニュース価値のない日常茶飯事だ。 露見した結果は大臣や議員辞職、役職退任など枚挙にいとまがない。 中には”子供を騙す”みたいな言い訳をして、恥を天下に晒した挙句に、自殺した大臣もいた。 今回の事件は、報告書訂正で片が付くようなものではない。露見したのが数年後という経過時間、金額の多寡に対する驚異、その金額の出所、当の政治家本人があまりにも著名人であるなど、諸々の理由があったらしい。 ニュース解説によれば、判決の内容は検事役の弁護士の主張が、ほぼ取り入れてあるという。ご多聞に漏れず ”悪事の事実があった” ということだ。だから秘書三人は先行した一審で有罪となっているのだ。 でも、今回の被告は「無罪」である。 小生、40代の始めから7年間、司法書士の受験勉強に勤しんだことがある。 法律の数は民法、商法、刑法など全部で9本。 小生には、その中で刑法が一番馴染めた。 法律の条文解釈には学説、判例、通説、いろいろと理論づけされていているが、特に刑法については、子供の頃から親に対して屁理屈を云っていた我が性格にとって、面白くて仕様がなかった。 今回の「主文、被告人は無罪」、これは刑法の典型と思う。 状況証拠は役立たない。裁判官が被告の心を読み取っても、それは推測であって証拠ではない。 田中角栄被告の裁判には、全部の法廷を傍聴したという小沢氏である。だから、被告人ながら普段から「自分は無罪」と強気でいたのだろう。 民主党が天下を取った時のこの笑顔!今日の民主党の体たらくを、誰が予想しただろうか。 この中の仲間割れの4つの顔顔顔顔! 虫唾が走る? もう、お呼びをかける人は殆どいないだろうな?! 強い志と卓越した理想を持った有能な志士は、袂を分かつ勇気をもって、国民に向かって叫んでもらいたい。 「日本を蘇らそう!」 ![]() 東京地検は今回の被告人を二度にわたって「犯罪が成立しない」として起訴しなかった。 構成要件を充足するには、少し足りないものがある、と判断したのだろう。 しかし、検察審査会は二度とも「起訴相当」としたので、地検の捜索から延々3年間にわたる取り調べと裁判が開かれた。 一般人はTVと新聞ニュースで悪事を知った。 新聞の悪に対する正義感を呼び込もうとする記事内容! それに誘われた正義感が「起訴相当」という審決を出したのだろう。 更に、検察の報告書が一部偽造であったことも、法廷で弁護人の立証により判明した。 検察は地検・高検・最高検は一体である。それでも不起訴とした。 検察審査会は法律に素人の一般国民だ。判断基準は、たぶん新聞記事から入手した正義感。法律の解釈は無用。 法廷に検事はいなかった。 結果は無罪。 被告の行動は国家国民に被害損害を与えていない。しかし、起訴された結果蒙った被告の損失損害は、計り知れない。 この裁判は悉く、普通の刑事事件裁判と異なっていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2012年 04月 23日
本の表紙は有名な”小樽運河”。一目見てすぐにわかる。編著者吉田さんは ”傘寿” 即ち80歳になっても「生涯、死ぬまで現役」をモットーに、地元・小樽で英語教師を続けておられる。 「いつもチャレンジ精神で」という強い意志を持って、元気生活を送っているのだ。 この3月、掲示した表題の本、200ページを超える内容の英語教本を出版され、小生のもとへも、贈ってくれた。 吉田先生との出会いは平成9 or 10年の夏のスクーリングだった。 日本大学通信教育部文理学部文学科(英文学)。ここで小生たちは、所謂、学友だった。 学生の8割は女性、その中で老人は数名、直ぐに言葉を交わす仲となった。 当時、聞けば70歳、北海道の甲子園高校野球で有名な学校の英語講師ということだった。北海道の中学校助教諭を1年経験後、道教育大学函館分校で学び、地元で英語教師として勤務約40年、小中学校の教頭、校長を務めたのちに定年退職。 その後、高校の英語科非常勤講師となった、と自己紹介された。 野球で有名な北照高校の英語科講師を15年勤められた。小生と出会ったのは、高校の講師当時であった。 贈られてきた著書によれば、79歳まで55年間英語科教師を勤められたそうである。 しかし今も尚、"Weekly 英会話クラブ”の講師を初め、5指に余る団体等に関わりをもって、英語教育に励んでいるという。 インドのミサイル ![]() 原子爆弾を目的地上空まで運搬するのは、67年前の広島・長崎と異なり、今はミサイルだ。発射台には、移動式と固定式の方法があるという。 先日発射した北朝鮮の通称人工衛星運搬ロケット? ミサイルは、帯空1分半で爆発分解逆戻り、散乱して海中深く潜ってしまったが、これは固定式発射台から飛び出した。 我が国では警戒警備体制を敷いていたから、経緯は大きなニュースだった。 だが発射後の国民への周知が遅れたので、野党から政府の不手際ということを責められて、防衛大臣は参院で問責処分を受ける破目になった。 その3日後には、インドがミサイルを飛ばした。わが日本も射程内に入る代物ということだ。 だが、これは小さなニュースだった。 報道では北朝鮮に対して、準備段階から国連や主要国からも中止要請が激しく出ていた。 だが、インドに対しては各国とも無関心・許容の姿勢である。 ![]() ![]() この差別の姿勢は両国の国家体制にあり? 親米国か? 反米国か? 民主主義か? 独裁国か? いずれにしても、世界にはミサイルも原子爆弾も必要ないのだ。 大統領職へ当選間もなくして、ノーベル平和賞を授与されたオバマ氏は、原子爆弾全廃を唱えた功績のはずだ。 世界には矛盾が多すぎる。 ![]() ![]() ![]() 2012年 04月 16日
新聞を読まず、テレビを見ず、ラジオも聞かず、健康な毎日を過ごしていれば、気分は楽なものだろうな! と思うこともある。
形を変えて次々と、どうしてこうも不愉快な出来事が起きているのだろうと、ホントに考え込んでしまうのは、小生だけではないだろう。 ![]() 孤立無援で「気象観測人工衛星を飛ばす」という北朝鮮、「国連決議違反の弾道ミサイル発射だからやめろ」という国連と各国の非難。軌道が逸れて、我が国に落下する前に迎撃しようと、万全の備えをしていた我が国の陸海自衛隊、日朝双方とも予想外の出来事で、その後はすっかり尾を引いてしまった。 弾道ミサイル? 人工衛星ロケット? の発射直後に、「早期警戒衛星が北朝鮮の熱射をキャッチした」という米国から発射の通報を受けた防衛省は、沖縄・宮古島では、自衛隊が隊員に知らせる警報の信号弾を打ち上げた。だが、万全の備えの自衛隊と政府であったが、「入手した情報を我が方の独自の確認はとれなかった」という事情で、直ちに関係先へ周知しなかったのだ。高性能レーダーに本体が映らなかったのだ。 何故なら、ミサイル or ロケットは、発射81秒後には空中分解して、韓国西方海上へ落下したのだ。 レーダーが捉える距離(海里)=2.083(√h(m) + √H(m)) h : レーダーの海上面からの高さ H : 対象物の海上面からの高さ ということだそうなので、遠い日本のレーダーに映るだけの高さに上がらずに、海上に落ちてしまったのだろう。 北朝鮮は、米国の注告を無視して発射したので、2月に合意した栄養補助食品24万トンの援助が停止された。 試算では、北朝鮮の打ち上げの費用は、国民1年分の米の購入費に相当するそうだ。なけなしのお金を使ってしまった?打ち上げの状況を公開するために、世界中から約170人の記者を招待した。 祖父:金日成の生誕100周年記念パレードを行う。 孫:金正恩の国家・軍・労働党3件の代表就任披露。 合わせて祝福するはずだったが、人工衛星の打ち上げは失敗した。赤恥をかいてしまったのだ。 その腹癒せに北朝鮮は、原爆の爆破実験?短距離ミサイルの発射? 韓国へ挑発の行動に出る? 我が国にまた、心配の種は芽生えて来た。 ![]() ![]() 万全の備えの綻びを知った野党自民党は、早速、政府の失態として飛びついた。この人は、政府の不手際を責めるときは、いつも記者の前で生き生きと熱を帯びる。 「政府の危機管理はまったく出来ていない。国会で追及する」。 また、国会にもめ事を起こそうとしているようだ。 ![]() ![]() 実に憎らしき女の判決が出た。自白なし、全面否認。 「嘘をついたことを反省している。」 「これからは真人間として真面目に生きていきたい」犯罪の証拠がない。だが、誰が考えてもこの女は犯人なのだ。 疑わしきは被告に有利。しかし、この事件には当てはまらない。”死刑!” 判決に新しい道を開いた、ということになるらしい。 ![]() ![]() ![]() ------------------------------------- 昨年4月、栃木県鹿沼市で起きた自動車事故!小学生6人が死亡した。 この祇園の事故も、似たような事故だ。 運転手に癲癇の持病があった。 かかりつけの医師は「本人にも家族にも、自動車の運転を禁止」と言ってある。TVカメラの前で強調していた。 30歳男の仕事は、”商品の配達” という小型貨物車の運転職だ。 雇い主は「癲癇とは知らなかった」。 つい最近、運転免許証を更新した。更新手続きに際して、持病を申告していない。 その後の警察の捜査で、接触されたタクシーのドライバー・カメラに写っていた事故車の走行は、運転手が失神していないようだった、ということである。 歩行者死亡7名とは痛々しいことだ。 最後は電柱へ激突したので、運転手も死亡した。 ![]() ![]() これも来月早々に検査のため、止めることになっている。 これですべて54基が止まってしまう。電力不足は20%になるらしい。 検査が済んで、安全と思われる福井県の大飯2号3号機を稼働させたい政府。 地元の知事・首長と隣接府県の知事が、賛成していない。 困り果てている担当大臣。 電力不足は後進国! だけでなく、我が日本も深刻なことになりそうだ。 ![]() 不退転!政治生命! いくら首相が叫んでも、雰囲気は支持者が増えない。 財政立て直しは、増税しか方法が無い。 分かっているけど、賛成できない。 「このままでは、いずれ国家が倒産するぞ」 分かるけれども賛成できない。 一体、どうすりゃいいんだ? 2012年 04月 15日
複数のTVワイドショーの字幕を繋いで見たら、恐ろしいストーリーが出来上がった。
この女性をどういう形容詞を使って表現すればいいのだろう。 ”魔性の女” だけでは言い足りない。”悪魔”? 現世に悪魔などいるわけがない。 裁判ニュースを追いかけて読み、TVを視聴していたわけではないが、「20人ぐらいの男性を相手にした」という告白のニュース記事を読んだ記憶がある。 「男性に違う世界を与えることができるとわかってきて・・・嬉しかった」 殺されずに済んだ男たちは、名器に出会ったことを今でも「天国を味わった」とほくそ笑んでいるのだろうか? ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この裁判は、裁判員裁判だった。 選ばれて裁判員となった6人の人たちは、最長記録の裁判に立ち合され、検察の立証と弁護人の反証と本人の赤裸々な告白・陳述を聞かされ、しかも有罪を示す物証・証拠も無く、困惑しただろうと思う。 判決後に、記者の前で感想を述べた人もいたが、小生はその内容には興味はなかった。 判決の日の傍聴希望者は、若い女性の行列だったことに妙な興味が湧いた。 並ぶ列の中には、記者のインタビューに、堂々と答える姿もあった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 判決理由を此処に書くつもりはない。裁判員、即ち一般国民が「死刑」と判断したのだ。 無罪と死刑! この差は大きい。ホントに単純な経緯の事件であるにも関わらず、裁判員当事者は、悩んでしまっただろうと想像する。 ![]()
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5月16日午後、農業技術培訓学校の歓迎宴を終えた後、龍首山を参観した。
ホテル”天興国際酒店”の直ぐ横から、200mも繋がって歩道上に朝市が開かれていた。
瀋陽のホテル”新世界酒店”の11階の部屋から見下ろした光景である。
ホテルの広間で、結婚式が行われる。
ホテルの玄関を外へ出ると大通りだ。
3年前も昨年5月も、どうしても此処へ来てみたかった。
駅前は土木工事のせいで、駅舎は塀で囲まれていた。
大通りの反対側を歩いてホテルへ向かった。
ホテルの玄関を出て、瀋陽駅と反対方に歩いていたら、中山公園の北入口へたどり着いた。



公園内の何処からか女性の歌声と胡弓(二胡?)の音が流れていた。

大連へ到着してから気づいたのだが、大連~瀋陽間は朝5時半頃が始発で20分ごとに発車しているのだ。
瀋陽~大連高速道路は全長約349km、小生の座席番号2は運転手席の直ぐ後ろだった。
トイレは車内に設置されていたが、3時間が過ぎたころに、トイレ休憩所で15分ぐらい停車した。
乗務員という名札を下げたこの若い女性は、左手薬指に指輪を嵌めていた。

「地下道入り口」という階段があったので降りてみた。
日本料理を探したが見つからなかった。
大連の我が宿泊ホテルでも結婚式が行われていた。
待つ時間は長く感じる。
「ワリヤーグ」








瀋陽と地下鉄で繋がるという駅舎は完成していた。線路は見れなかった。

郊外には物流センターと称する巨大な施設が完成していた。


5月22日は小生の誕生日。
雨が降り風強く吹き、一時エレベータが運行停止の状態になった。







明けて16日8時半、ホテルを出発して農業技術培訓学校へ向かった。バスは直行で走って20分ほどの場所に到着した。
日本語の上手な人もいた。


17時半、天興国際酒店(ホテル)で鉄嶺市林業局の歓迎宴。
17日(木)8時半、外事弁公室の劉英氏や崔通訳、卒業生などの見送りを受けてホテルを離れ、瀋陽へ向かった。
中国人民政治協商会議遼寧省委員会の歓迎会。於:政協会館。
米山さんは段ボール二つに土産を入れて持参。互いに土産の交換のようだった。









15日(火)再び「鉄嶺・瀋陽の旅」へ出かけることになった。
市の構成は開原市、調兵山市、銀州区、清河区、鉄嶺県、昌図県、西豊県、の2市、2区、3県からなり人口305万人、面積13,000平方キロということである。
旅を企画された米山さんは”鉄嶺龍山会(代表・山口和子・・元NHK教育放送中国語講師・創価大学名誉教授)の幹事を務めている。旧制中学1年まで鉄嶺に在住し、終戦により帰還された。現在、鉄嶺市名誉市民に任命されている。
3年前の旅に参加したのは、我が親友・故斉藤の葬式に米山さんに出会ったことにある。
知人
物価


群馬県藤岡市の関越自動車道で、高速のまま路肩の防音壁に激突したのだ。車体は縦に切り裂かれてしまった。




いつ原発が再稼働できるのか、誰も情報には触れていない。


長野、岐阜両県の北アルプスで4日から5日にかけ、中高年登山者による遭難事故が相次いだ。



4月28日(土)
前年度は個人の海外旅行はいくつかあったが、月例の連絡会で報告済み。総会報告はプロジェクトに限定しているので、該当は1件のみ。今年2月の台中ショート・ステイである。
台中の投影の当初部分には、陳さんの姿が6,7分写っていた。
会議を終えて迎えに来たバスに乗り湘南台へ移動した。
何をしゃべり、何を聞いて笑ったのか、記憶に残ることは無かった。
夜、陳さんへアクセス。陳さんを、総会出席者へ紹介した宮崎さんの言葉を伝えた。
千葉・埼玉に居住の2人に対し、今年の1月に「暖かくなったら墓参り・・・」を約束していたので、天気予報を見て昨日(4月29日)実施した。
タクシーを待たせていたこともあり、昼食を兼ねてミニ同級会を開くために、長居せず越谷駅へ向かった。



ニュース解説によれば、判決の内容は検事役の弁護士の主張が、ほぼ取り入れてあるという。
民主党が天下を取った時のこの笑顔!







本の表紙は有名な”小樽運河”。一目見てすぐにわかる。
当時、聞けば70歳、北海道の甲子園高校野球で有名な学校の英語講師ということだった。
野球で有名な北照高校の英語科講師を15年勤められた。
原子爆弾を目的地上空まで運搬するのは、67年前の広島・長崎と異なり、今はミサイルだ。





孤立無援で「気象観測人工衛星を飛ばす」という北朝鮮、「国連決議違反の弾道ミサイル発射だからやめろ」という国連と各国の非難。
弾道ミサイル? 人工衛星ロケット? の発射直後に、「早期警戒衛星が北朝鮮の熱射をキャッチした」という米国から発射の通報を受けた防衛省は、沖縄・宮古島では、自衛隊が隊員に知らせる警報の信号弾を打ち上げた。
北朝鮮は、米国の注告を無視して発射したので、2月に合意した栄養補助食品24万トンの援助が停止された。
試算では、北朝鮮の打ち上げの費用は、国民1年分の米の購入費に相当するそうだ。なけなしのお金を使ってしまった?
その腹癒せに北朝鮮は、原爆の爆破実験?

万全の備えの綻びを知った野党自民党は、早速、政府の失態として飛びついた。

実に憎らしき女の判決が出た。
「これからは真人間として真面目に生きていきたい」
疑わしきは被告に有利。しかし、この事件には当てはまらない。


昨年4月、栃木県鹿沼市で起きた自動車事故!
かかりつけの医師は「本人にも家族にも、自動車の運転を禁止」と言ってある。


不退転!































